”祭りには 皆とはいえど 気は娘”
この言葉を知っていますか?昨日、親鸞会館での高森顕徹先生のお話の中でこの言葉の意味について
教えてもらいました。
娘を嫁にやった両親は娘は元気でやっているか、顔を見てみたいと思っていても娘に会いに行く事はできない
ものです。今もそうだと思いますが100戸~120戸ぐらいの集落では年に2回ほど祭りがあります。その祭りの
日にちが近くなってくると嫁にやった両親は娘の嫁ぎ先へ行き、「うちの村で祭りがありますので、皆さん、どうぞ
来て下さい」と招待に行きます。嫁ぎ先の家の人は「これは『皆で来て下さい』と言っているけど、気持ちは娘だけを
寄こして欲しいのだな」とピンときます。逆に親戚引き連れて、言葉通り皆で来た人はあまり空気の読める人では
ありません。親鸞学徒にとって相手の気持ちを汲む、場の雰囲気を察知するのはとても大切なことです。
この前の研修の時に、研修を受けに来ていた学生さんが食事準備の手伝いをした時、「ご飯をつけて下さい」と
言われたそうです。皆さんならどうしますか?
その学生さんはしゃもじについていたご飯を一生懸命、茶碗のふちに文字通り、”つけて”いたそうです。。。
この場合は盛り付けるですよね。おかしいと思わなかったのでしょうか。少しでもわからないことは聞くことが
大切です。”聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥”と言いますから。
言葉は不完全なものと教えてもらいます。不完全だから、言葉に込められたその人の思いを知ることは容易では
ありません。しかし、不完全な言葉を通して、深遠な御教えを聞き、また、人に伝える親鸞学徒にとって避けて
通れない道です。私も少しでも向上できるよう、頑張っていきたいと思います。