マロンさん、去る…

明日、マロンさんが顕真学院を離れます…。

当ブログでも何回か記事を投稿してくれたのですが、振りかえると余り記事にしておらず、後悔が残ります。

結局、いつまでも一緒におれると思っていた事が原因ですけど。

会者定離 ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり (親鸞聖人)

親鸞聖人が35歳の御時に越後流刑となられ、法然上人との別れを悲しまれ、歌われたものです。

法然上人はその時、75歳で土佐の国に流刑となられています。親鸞聖人当時、人生50年と

言われた時です。生きて会うことができないと思われた親鸞聖人の心情はいかほどか。想像に

余ります。会うは別れの始めと言われますが、別れの日がいつかやってくるとはわかっていても、

それが突然、やってくるなんて思いもしないことです。結局、いつまでも誰一人欠けること無く、

ずっとこの状態が続いていく、と本心では思っているのではないでしょうか。それが幻想だったと

知らされる時が別れの時です。別れてしまえば、再び会うことはなかなかありません。小・中・高校と

同じクラスであった人達と今でも連絡を取るか、と言えば、全員ではなく、ごく少数の人です。今頃、

どこで何をしているかなんて、お互いに知りません。世間での出会いとはそんな出会いが多いですが、

親鸞学徒はそうではありません。たとえ生きて2度と会えなくても、光に向かって進む親鸞学徒の再度の

面会は弥陀の浄土です。

 親鸞聖人のお歌に対して法然上人はこのように答えられています。

別れ路の さのみ嘆くな 法の友 また会う国の あると思えば (法然上人)

マロンさんとは場所は変われど、進むべき方角は一緒です。今までお世話になりましたm(_ _)m